雨傘が咲いた場所


MTRアドミラルティ駅正面


占拠された通り

市民が道路両側に集まり、右手に見える交差点から一人が飛び出しオキュパイがスタートしたとも言われる。


公民広場

反愛国教育運動の中心となった象徴的な場所。ジョシュア・ウォンらが再占拠を試みた。


議員会館

一階部分が雨除けになるため、占拠学生の事務所ともなった。


海側の通り

占拠は公民広場(政府庁舎)、議員会館を挟み反対側まで続く。


現場にかかる陸橋

警官隊が催涙弾を発するのを目撃した陸橋の上の市民は、雨傘を開いて道路下へ投げ、仲間を助けようとした。


公民広場前に残るメッセージ

深セン在住女性が内地から毎日支援のために通い、メッセージを残した。

「法の支配の終わり」


青空教室

学生たちはガードレールをイスや机代わりにし、上級生が下級生に勉強を教えた。ここには自動車用の発電機などが持ち込まれ、夜でも明かりが絶えなかった。

HK is NOT China.com / 香港の民主化運動:雨傘、普通選挙、そして自決

香港の民主派、独立派、自決派とよばれる若者を中心とした動きを解説します。雨傘運動は世界的に大きな注目を集めましたが、成果なく終わりました。その後雨傘運動の中心であった学生たちは議会へ戦いの場を移し、実際に当選者を多数輩出しましたが、そこで待ち受けていたのも中国の圧倒的な力でした。こうした中で広がる無力感や、日本のメディアでは民主派とひとくくりにされてしまい正確に伝わらない状況などを伝えます。

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