親中・反中 分断される人々
香港は複雑である。それはもちろん、他の国が単純であるわけではない。しかし香港は複雑である。それは香港という土地が常に逃避という言葉と併置されてきた事実と不可分ではない。
第二次大戦前、英領香港と大陸の国境管理は厳格ではなく、人口は流動的であった。日本統治を経て第二次大戦後に英国領に復帰するが、大陸の国境内戦で共産党が勝利すると、共産党政権を恐れた人々が香港へ流入した。彼らの中には共産党を正当な中国の後継者として認めない中文研究者なども含まれる。
第二次大戦後には東南アジア諸国でも独立運動が活発化した。紛争リスクから逃れるために、多くの華僑たちが逃げ込んだのもまた香港であった。
一方大陸からは大躍進政策や文化大革命の貧困、政治的迫害から逃れる人により、この間香港の人口は激増し3倍になったとも言われる。現在の香港の高齢世代は主にこのころに家族等と香港へ渡ってきた世代である。
翻って現在の民主独立運動の中核を担う20代や学生世代は、返還後の香港で育ってきた。彼らは英国を知らないが、同様に中国についても知らない。幾層にも重なる逃避の歴史が、香港の群衆を複雑に、しかし確かに分断している。
ここに偏見を恐れずにおおまかな分類を示してみたい。
◆高齢者層(60代以上)
親中派が多い傾向にある。彼ら自身に中国大陸で過ごした経験があり、心理的距離間が近い。また、80年代と返還後の経済成長を現役世代として経験している。またときに批判の対象となる中国本土からの旅行客であるが、小さな商店主等もこれら旅行客の恩恵を受けている者もいるし、大きなビジネスを行っているものであればなおさらである。一方、文化大革命等で迫害等苦い経験をしている者は、中国自体にはシンパシーを持つ一方で、共産党に対してはその限りではないかもしれない。
◆中年層(30代~50代)
北京オリンピック前後、香港における中国への好感度が高かった時代を経験している層である。同時期に経済成長があり、仕事上でも恩恵を受けている。教育レベルによっては、大学や留学の経験により民主主義や資本主義を学んでいる者もいるが、少なくとも、彼らは1997年に国外へ逃避しなかった層である。この年代はまだ比較的不動産を市民が購入できた時代に生きており、それらの不動産価格の値上がりにより十分に安定した生活が送れているものも多い。共産党の政策に従っている限りで、彼らの経済生活を脅かされることはない。民主派であるが、それでも親中派である比率が高い。
◆若年層(10代~20代)
返還後の世代である。自身の青春時代に愛国教育や普通語教育への転換を経験している。また労働者には経済的な恩恵を与える大陸からの旅行客も、学生であった彼らにはマナーがなく、おらが町の風景を強引に変更する迷惑な存在でしかない。そして今や彼らが働いても不動産を手にできる可能性はとても厳しい。中国との結びつきを強める企業は共産党幹部の子息や、中国大陸で育った者を採用し、香港の学生の就職競争は苛烈である。その彼らの底流に流れる不審や不満、不安が合流したのが雨傘であり、民主派、それも独立派である。
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